赤羽駅~郷愁と追想とノスタルジー

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駅というと、電車の駅を想像する人がほとんどだろう。
私の場合、住んでいる場所が電車の駅から離れているので
バスを使うことが多く、最寄り駅はバス停ともいえる。

子供のころ、バス停からバスに乗って冒険したいと思ったのは、赤羽駅だった。なにしろ、バスに乗って終点が赤羽駅だったので、迷うこともなく、当時小学生だった私も友達に誘われてよく赤羽駅に行っていた。

 

当時の赤羽駅は、今のように高架になっておらず、踏み切りは開かずの踏み切りと言われて、おそろしく渋滞していた。東口に店舗が集中しており、バスから降りると東口に買い物に行っていたことを思い出す。今は西口のほうが大きな商業施設が建設されてお洒落な雰囲気が漂っている。

 

当時の東口は古さと新しさが入り混じった不思議な場所だった。昼間から酔っ払いがほろ酔い気分で歩いていて、私たち子供が大きな声で話していると、後ろから大きな声で怒鳴られたものだ。道を何人かで並んで歩いていても怒られた。

 

あのころは、怖いおじさんやおばさんがたくさんいて、実の親よりも世間の常識を教えてくれた。親から放置気味で常識を知らず、ありがとうやごめんなさいが言えなかった私も、こうして世間の常識を学ぶことができたのだ。

 

ただ、昔を知っている父親からは、『赤羽は昔、赤線って言われていて、売春婦がたくさんいた・・・赤羽駅の少し先の浮間のあたりの荒川には追いはぎが出ていた・・・あのあたりはとにかく物騒だった』という悪い噂しか聞いたことがなかった。今では若者の住みたい街に選ばれる赤羽も、遥か昔はいろいろな歴史があるようだ。

 

最近、赤羽に行ってみたが、駅も町並みも変わっていて当時の面影はほとんどなかったが、東口の繁華街には古いお店がまだまだ残っていた。私の母親よりも年上であろう女性が切り盛りしているお店も多く、高齢者にも優しい街だなと思った。若者と高齢者が仲良く住める街、赤羽は、今でも訪れると甘酸っぱい記憶がよみがえり、しばしノスタルジーにひたれる唯一の街である。